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札幌地方裁判所 昭和44年(ワ)455号 判決

原告 小原清子

右訴訟代理人弁護士 下坂浩介

被告 雨龍郡沼田町

右代表者町長 西森巽

右訴訟代理人弁護士 入江五郎

右訴訟復代理人弁護士 中川博宣

主文

被告は原告に対し金三、七七九、四一〇円及び内金一、九六四、〇〇〇円に対する昭和四三年四月一日から、内金九八五、九〇三円に対する昭和四四年四月一日から、内金四二九、五〇七円に対する昭和四五年四月一日からそれぞれ完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。

この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

(申立て)

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し金一五、九四九、六三八円及び内金一、九六四、〇〇〇円に対する昭和四三年四月一日から、内金二、五三九、三九八円に対する昭和四四年四月一日から、内金九、三六五、八五三円に対する昭和四五年四月一日からそれぞれ完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

(主張)

原告訴訟代理人は、請求の原因として、

一  原告は、昭和四二年二月二六日午前一〇時頃被告沼田町立浅野小学校生徒の父兄らと共に同小学校体育館軒下で除雪作業に従事中、右体育館の屋根上から突然落下してきた氷状の雪塊を身体に受け(以下「本件事故」という。)、第一二胸椎脱臼骨折兼脊髄損傷の傷害を負い、同日から同年八月三一日まで深川市立病院、その後引続き現在まで国立登別病院に入院して加療したが、なお、下半身不随となったままの状態にある。

二、被告は、次の理由により、本件事故により原告の被った後記損害を賠償する責任がある。

1  前記除雪作業は、浅野小学校長松本勤から同校PTAの会員(以下「父兄」という。)に対する「校舎の窓にかかっている積雪を採光のため取除いてもらいたい。」旨の要請により行なわれたものである。しかして、校舎の除雪は、校長はじめ同校勤務の教諭らの本来の職務に密接な関連を有するものである。ところで、同校の体育館の屋根には、積雪の危険な落下を防ぐべき「雪止め」や「氷止め」の設備が施されていなかったうえ、事故当日雪が約五〇センチメートルの厚さに積っていて、その積雪が二、三日前からの暖気と降雨により氷状となり、軒下の積雪と連結して辛うじて支えられていたものの、自然落下の生じ易い危険な状態となったままに放置されていたのであるから、前記松本校長およびその指揮下に学校側として前記除雪作業にあたった教頭北向清、教諭大山政夫らは、右危険な状態を察知して、右要請に応じて参集した原告ら父兄に対して作業着手前に右危険な状態につき警告してその注意を喚起させ、さらには、右危険の除去につき適切な措置をとるべき義務があったが、これを怠った過失により本件事故が発生したものである。しかして、被告は、当時右松本らを雇用使用し、同校校舎の管理にあたらせていたのであるから、民法七一五条、七〇九条又は国家賠償法一条に則り原告の損害を賠償する責任がある。

2  また、本件事故は、右の如く、右体育館の屋根の「雪止め」、「氷止め」の不備があったほか、右屋根上の積雪等を危険な状態に放置して土地の工作物である右体育館の設置又は管理に瑕疵があったことにより発生したものであるところ、被告は、体育館の管理者、占有者であるから、国家賠償法二条又は民法七一七条に則り原告の損害を賠償する責任がある。

3  さらに、被告が、右松本らを通じて原告に対し浅野小学校校舎(体育館を含む。)の窓にかかっている雪を採光のため除雪する事務を委託し、原告がこれに応じたことにより原、被告間に準委任契約が成立したと解されるところ、これに基づき原告が除雪の事務を処理していたのであるから、被告は、その際原告の過失なくして生じた原告の損害を民法六五六条、六五〇条三項に則り賠償する責任がある。

三  原告の損害 金一五、九四九、六三八円

1  治療費 金一七二、五四五円

原告は、国立登別病院において昭和四二年九月一日から昭和四四年二月末日までの入院治療のための費用として金一七二、五四五円を要した。

2  休業補償費(昭和四二年四月一日から昭和四五年三月三一日までの分)金一、六五五、九〇六円

(一) 原告の対外的労働により得べかりし収入 金九四九、九〇六円

原告は本件事故の前年である昭和四一年度(昭和四一年四月一日から昭和四二年三月三一日まで)において別表記載のとおり一三〇日間他家の田植え仕事等に従事し合計金二六二、〇〇〇円の収入を得ていた。

(二) 右事実を基礎として原告の得べかりし収入を計算する。

(イ) 昭和四二年度(昭和四二年四月一日から昭和四三年三月三一日まで)における原告の得べかりし収入は、昭和四一年度の原告の収入金二六二、〇〇〇円に、昭和四二年労働省毎月勤労統計調査資料による女子労働の対前年度賃金増加率一〇・六パーセント分を加えた金二八八、二〇〇円となる。

(ロ) 昭和四三年度(昭和四三年四月一日から昭和四四年三月三一日まで)における原告の収入は、昭和四二年度における原告の得べかりし収入金二八八、二〇〇円に、昭和四三年の右調査資料による女子労働の対前年度賃金増加率一四・八パーセント分を加えた金三三〇、八五三円となる。

(ハ) 昭和四四年度(昭和四四年四月一日から昭和四五年三月三一日まで)における原告の得べかりし収入も少くとも昭和四三年度における原告の得べかりし収入金三三〇、八五三円を下らない。

(ニ) 原告の主婦としての労働により得べかりし収入 合計金七〇六、〇〇〇円

原告は、前記稼働日外の日には主婦として労働しており、その日数は昭和四二年、四四年度において各二三五日、昭和四三年度において二三六日であるところ、主婦としての収入は一日につき金一、〇〇〇円と評価されるべきであるので、これに右日数をそれぞれ乗ずると、昭和四二、四四年度において各金二三五、〇〇〇円、昭和四三年度において金二三六、〇〇〇円となるが、右金額が各年度における原告の主婦としての労働により得べかりし収入である。

3  慰藉料 合計金一二、〇四〇、八〇〇円

(一) 原告は、本件事故による重傷のため、前記の如く現在に至るも未だ入院加療中であるが、その間昭和四二年三月一日に第一回目の手術を受け、昭和四三年二月八日に背骨から金属棒を抜き取ったが、永年の病床生活により腰の床ずれの痛みが激しくなったため、昭和四四年一〇月九日右床ずれの手術を受けたものの、原告の傷害は下半身不随となったまま全治不能の状態にある。

(二) 原告は、これまで平和で幸福な生活を送っていたが、本件事故によりそれまで同居していた夫源之丞、次女ふみえ(中学生)、次男年勝(小学生)、三女好子(小学生)との別居を余儀なくさせられる一方、原告の収入が途絶えたのに加えて入院当初から原告の看護にあたらざるを得なかった源之丞も長期欠勤により失職するなどの事態も生じたため、原告らの楽しみであった子供の高校進学も断念せざるを得なくなった。

更に、被告は、原告と示談が成立したと称して昭和四二年八月三一日以後の原告の医療費の支払を打切ったため、以後原告夫妻は国立登別病院から度重なる多額の治療費の請求を受けることになった。そして、当時収入の少なかった源之丞は、右請求を逃れるためにはもはや原告と離婚する以外に方法はないと考え、原告もまたやむなくこれに従ったため、原告と源之丞とは昭和四四年二月二〇日協議離婚をするに至った。

(三) しかして、右の事実により原告が受けた苦痛は継続的損害と考えるべきであるから、これに対する慰藉料も一ヶ月ごとに算定すべきである。そして、その額は一ヶ月金一五〇、〇〇〇円が相当と認められるから、昭和四二年二月二六日より昭和四五年三月三一日までの三七ヶ月間の原告の慰藉料は合計金五、五五〇、〇〇〇円となる。次に、原告に不治の後遺症が残ったことによる苦痛に対する慰藉料は金七、〇〇〇、〇〇〇円が相当であると認められる。しかして、原告は、昭和四二年八月三一日被告から金五〇九、二〇〇円を受領し、これを入院中の慰藉料に充当しているので、これを控除すると、被告が原告に支払うべき慰藉料の額は合計一二、〇四〇、八〇〇円となる。

4  弁護士費用 金二、〇八〇、三八七円

被告は、原告に対する以上の賠償金の支払をしないため、原告は、弁護士下坂浩介に訴訟依頼をし、成功報酬として認容額の一五パーセントを支払うことを約した。従って、原告は、1乃至3の損害額合計金一三、八六九、二五一円の一五パーセントにあたる金二、〇八〇、三八七円を弁護士費用として請求する。

四  以上の原告の損害のうち、弁護士費用を除いた損害につき遅延損害金請求の関係上昭和四三年から昭和四五年まで毎年三月三一日現在で年度毎に計算する。

1  昭和四二年度(昭和四二年二月二六日から昭和四三年三月三一日まで)に生じた損害 合計金一、九六四、〇〇〇円

(一) 休業による損害の合計 金五二三、二〇〇円

(1) 対外的労働により得べかりし収入の喪失額 金二八八、二〇〇円

(2) 家事労働により得べかりし収入の喪失額 金二三五、〇〇〇円

(二) 慰藉料 金一、四四〇、八〇〇円

入院中の慰藉料は一三ヶ月で金一、九五〇、〇〇〇円となるが、原告が被告より受領した前記金額五〇九、二〇〇円を差引いた残金である。

2  昭和四三年度(昭和四三年四月一日から昭和四四年三月三一日まで)に生じた損害 合計金二、五三九、三九八円

(一) 治療費 金一七二、五四五円

(二) 休業による損害の合計 金五六六、八五三円

(1) 対外的労働により得べかりし収入の喪失額 金三三〇、八五三円

(2) 家事労働により得べかりし収入の喪失額 金二三六、〇〇〇円

(三) 慰藉料 金一、八〇〇、〇〇〇円

入院中の慰藉料一二ヶ月分である。

3  昭和四四年度(昭和四四年四月一日から昭和四五年三月三一日まで)に生じた損害 合計金九、三六五、八五三円

(一) 休業による損害の合計 金五六五、八五三円

(1) 対外的労働により得べかりし収入の喪失額 金三三〇、八五三円

(2) 家事労働により得べかりし収入の喪失額 金二三五、〇〇〇円

(二) 慰藉料の合計 金八、八〇〇、〇〇〇円

(1) 入院中の慰藉料一二ヶ月分 金一、八〇〇、〇〇〇円

(2) 後遺症に対する慰藉料 金七、〇〇〇、〇〇〇円

五  よって、原告は被告に対し損害賠償として金一五、九四九、六三八円及び内金一、九六四、〇〇〇円(前記四の1の損害)に対する昭和四三年四月一日から、内金二、五三九、三九八円(前記四の2の損害)に対する昭和四四年四月一日から、内金九、三六五、八五三円(前記四の3の損害)に対する昭和四五年四月一日からそれぞれ完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

と述べた。

被告訴訟代理人は、原告の請求原因事実に対する答弁として、

一  請求原因一の事実は認める。同二の1の事実のうち、体育館の屋根に「雪止め」、「氷止め」の設備が施されていなかったこと、屋根上の雪が原告主張のように氷状となっていたことは認め、その余の事実は否認する。同2の事実のうち、被告が体育館の占有者であることは認め、その余の事実は否認する。同3の事実は否認する。同三の1、2、3の(一)、(二)の事実はいずれも不知。同3の(三)の事実のうち、原告に金五〇九、二〇〇円が支払われたことは認める(ただし、後記抗弁二のとおり浅野小学校PTAが支払ったものである。)が、その余は争う。同4の事実は否認する。同四、五は争う。

二、本件は、浅野小学校校舎(体育館を含む。)の屋根上の氷雪が落下する危険の発生を防止するため、原告ら父兄に対し除雪の要請をしたものであるところ、原告は、右要請に応じ、自発的に右の危険物である氷雪そのものを除去する作業に従事中本件事故に遭ったのであるから、国家賠償法二条又は民法七一七条は適用にならない。また、体育館の軒下は普段人の通行しない場所であるから、その屋根上に積雪の落下を防ぐべき「雪止め」等の設備が施されていなかったからといって、それにより体育館の保存、管理に瑕疵があったことにはならない。

と述べ抗弁として、

一、本件事故について仮に原告主張(請求原因二)の如く松本らに過失が認められるとしても、被告は、松本ら学校職員を雇用するにあたりその選任に十分な注意をしたし、その業務の執行につき相当の注意をしたから、責任はない。

二  原告と浅野小学校PTA会長滝川政良、被告の代理権を有する北向清(浅野小学校教頭)および大田敏雄(被告沼田町教育委員会主事)との間で昭和四二年八月三一日深川市立病院内原告の病室において、本件事故につき、「浅野小学校PTAは原告に対し見舞金として金五〇九、二〇〇円を支払う。原告は、右PTA及び被告に対し以後本件事故について訴を提起したりその他何らの請求をしない。」との内容の和解契約(以下「本件和解」という。)が成立し、滝川は、右契約に基づき同日同所において原告の使者ないし弁済受領について原告の代理権を有する源之丞に対し金五〇九、二〇〇円を支払った。従って、原告は、被告に対し本件事故についてもはや何らの損害賠償も請求できない。

三  原告には、本件事故につき、除雪作業にあたった際、体育館の屋根上の雪が作業による建物の振動、あるいは地上の積雪と連結した部分を切断することにより落下する危険が生じ易いことを予見し、右の危険を回避する措置を講ずることが容易に可能であったにもかかわらず、これを怠り漫然と作業を続けた過失がある。従って、本件事故による損害賠償額の算定にあたっては原告の過失を斟酌すべきである。

と述べた。

原告訴訟代理人は、被告の抗弁に対し、「抗弁事実のうち、原告が昭和四二年八月三一日被告より本件事故の見舞金として金五〇九、二〇〇円を受領し、これを慰藉料に充当したことは、前述(請求原因三の3の(三))とおりであるが、その余の事実は否認する。被告主張の和解は原被告間で成立したものではない。このことは、乙第一号証(覚書)に被告が当事者として署名していないし、同署名に記載されている原告の氏名も原告の自筆のものでないことからも明らかである。」と述べ、再抗弁として、

仮に、本件和解が成立したとしても、原告は、次の理由で本件事故について損害賠償の請求をすることができる。

一  原告の受けた傷害は、真実はその加療に三年以上もの入院を要し、かつ、労災等級第一級に該当する後遺症が残る重傷であったにもかかわらず、原告と被告は、これを長くとも半年ないし一年間も温泉で復起訓練をすることにより全治する程度のものとの誤った認識を前提として本件和解を締結したものであるから、本件和解は、その要素に錯誤があり、従って、原告の右和解における意思表示は無効である。

二  被告は、原告ら一家の窮状に乗じ精神的強制すら加えて本件和解を成立させたものであるが、本件和解には、原告の治療費、休業補償費、後遺症等について何らの定めもないうえ、原告に見舞金名下に支払われた金五〇九、二〇〇円は、未だ、四〇才でありながら今後一生病床に臥さなければならない原告に対する補償としては余りに少額であり、かかる金額で本件事故に関する原告の一切の損害賠償請求権を喪失させることを内容とした本件和解は公序良俗に反するものであるから無効である。

三  本件和解の見舞金の内容は、成立時点までの原告の慰藉料を主とし、原告の将来の損害については予想し得た限りのものとされていたのであるから、前記の如く和解後原告が三年以上も入院しているうえ、労災等級第一級の後遺症が残るという事情の変化と、不測の損害が生じている現在、本件については信義誠実の原則、事情変更の原則、行為基礎の変更の原則等が適用され、右和解の効力は成立後の原告の損害に及ばない。

四  本件和解には予想外の損害が発生した場合当然解除される旨の解除条件が付されていたところ、前記の如く本件事故により原告に多額の損害が発生したから、右和解は解除された。

と述べた。

被告訴訟代理人は、原告の再抗弁事実を否認し、「本件和解成立当時原、被告は、原告の傷害が下半身不随となったまま全治しないことを充分に認識していた。」と述べた。

(立証)≪省略≫

理由

一  本件事故の発生

1  原告が昭和四二年二月二六日午前一〇時頃浅野小学校の体育館軒下で除雪作業に従事中、右体育館の屋根上から突然落下してきた氷状の雪塊を身体に受けて第一二胸椎脱臼骨折兼脊髄損傷の傷害を負ったこと、そのため原告が事故当日から同年八月三一日まで深川市立病院、その後引続き現在まで国立登別病院に入院して加療したが、なお、下半身不随となったままの状態であることは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によると、原告の症状は、両下肢知覚運動完全麻痺の状態にあり、今後回復する見込みは殆んどないうえ、現在なお尿路、直腸障害、仙骨部の固い蓐瘡が残っていることが認められる。

2  しかして、≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、

(一)  浅野小学校の所在地である沼田町は豪雪地帯に属するため、同校の設置者である被告は、毎年予算を計上して同校校舎周辺の除雪を行なっていたこと、一方、同校PTAにおいても本件事故の数年前から毎年環境整備計画の一つとして父兄により一冬に一、二回同校校舎周辺の除雪作業を行なうことを総会の決議を経て計画し、また、同校校長も町予算のみに頼っていては十分な除雪を期待できないこともあるため、校舎管理の一環として、PTAに対し父兄による除雪を要望していたこと、そして、校長及びPTA会長連名の書面による要請があるとこれに応じて父兄が校舎周辺の除雪作業を行なっていたこと、

(二)  しかして、昭和四二年二月二一日頃同校校舎の周辺には軒先近くまで積雪したため、校舎内に光が入らない状態になっていたこと、そこで、同日頃同校校長松本勤、同校教頭北向清は、同校PTA会長滝川政良にはかり毎年の例にならい同月二三日、二六日の両日午前九時から正午まで原告ら父兄に対して除雪作業を要請することに決め、父兄のいる全家庭(約四〇〇戸)に対してその参加の要請を記載した校長及びPTA会長連名の同月二一日付の書面を配付したこと、

(三)  ところで、降雨のため同月二三日に予定された除雪作業は取止めとなったこと、同月二六日には計画通り除雪作業が行なわれることになったが、教頭の北向が都合により右作業に参加することができなかったところから松本校長は同校教諭大山政夫(同人は、松本、北向を除く同校教諭の中で最年長者であった。)に対して当日の作業計画の立案と作業現場における指揮を命ずるとともに、校舎の図面に基づいて同人と除雪個所を検討したこと、当日松本は、午前八時半頃登校し、やや連れて参集した滝川ら数名の父兄を促して同校の放送室前や旧校舎(一階)の屋根上の除雪を始め、また松本から作業現場の指揮等を命ぜられていた大山は、午前九時頃登校し、同校の庁使小林某と共に参集してきた父兄(午前一〇時頃までに約八〇名が参集した。)に対し作業場所を適宜指示しながら、自らも他の参加者に混って理科室前面の除雪作業を行なっていたこと、しかしながら、松本、大山、小林らによる作業場所の指示自体統一、徹底を欠いていたうえ、松本らは、参加者に対し危険な個所を指示し、あるいは作業に伴う危険を警告するなどその注意喚起のための努力は終始何らなさなかったこと、

(四)  一方、原告も前記要請に応じて同日午前九時過ぎ頃登校し、先ず同校職員室裏側の窓の除雪にあたった後、約八名の者と共に本件事故現場である同校体育館北西側の屋根下の除雪にとりかかったこと、ところで、右体育館は、棟上げ高約一二メートル、総面積六八九平方メートル、屋根の勾配約三〇度の規模のものであったところ、屋根には「雪止め」、「氷止め」等の設備が施されていなかった(体育館の屋根に右の設備がなかったことは当事者間に争いがない。)うえ、北端近くの屋根上の雪は、三日前の降雪(みぞれ)とそれに続いた暖気により融解、滑降して軒先近くで約一〇センチメートルから一五センチメートルの厚さで氷状となり(同体育館の屋根上の雪が一部氷状となっていたことは当事者間に争いがない。)、それが屋根から押し出るように垂れ下り、約五〇センチメートル下の積雪と連結し、その部分の窓は外部から完全に遮蔽された状態になっていたこと、従って、その軒下近くで除雪作業をしたり、軒先の積雪と連結した氷雪を切断した場合は屋根上の雪がその振動、あるいは支えを失うことにより自然落下し事故を生ずる危険が多分に存したこと、原告らは、窓から光が入るようにとの要請の趣旨にそうべく、右の連結部分に沿って一列になって、その根元近くを除雪しつつ(その結果一時的に幅約一メートル、深さ六〇センチメートルの雪溝が生じ、原告らを含む数名はその中に身を置くことになった。)連結部分の中間を切断して作業を進めていたところ、突然屋根上の氷雪が長さ約一一・八メートル、幅約三メートルに亘って滑り落ち、原告を含む四名の者がその下敷となったものであること、

以上の事実が認められ(る)。≪証拠判断省略≫

二  被告の責任

地方教育行政の組織及び運営に関する法律によると、被告は、その執行機関である沼田町教育委員会を通して自己の設置にかかる同校の施設、設備等を管理運営し、同校の教職員の服務を監督すべき立場にあるが、≪証拠省略≫によると、同教育委員会は、沼田町立学校校舎の管理をその校長に委嘱していること、従って、浅野小学校校舎の管理は被告から松本校長に委嘱されていることが認められる。しかして、前記事実によれば、右除雪作業は同校PATの環境整備計画実施の名の下に、松本校長の要請により同校長の校舎管理業務遂行の一環として学校側の指揮下に行なわれたものと認められるのであるが、前記のとおり、特に体育館の屋根上の氷雪は落下して事故を発生させる危険が多分に存したうえ(げんに証人松本勤の証言によると、前記の如く、当日松本は旧校舎の屋根の雪おろしをしているが、体育館の場合と同様に地上の積雪と連結した軒先の雪は除雪することを避けて後日雇うべき人夫にまかせることにしている。)、当日は多数の者が一時に作業をしていた関係上、互いの連絡不十分による事故発生のおそれも考えられるのであるから、松本校長及び同校長から作業の指揮を命ぜられた大山としては、除雪作業の要請が校長の校舎管理業務の遂行としてなされたものである以上、右要請が父兄に任意の参加による奉仕を期待するものであるとしても、右要請に応じ作業に従事する父兄に対し右のような落雪等による危険を警告するとともに、原告らに対し右の如く危険の存する場所で作業することのないように指示するか、あるいは右のような場所で作業することを指示した場合には落雪等の危険を直ちに作業者に通報できるよう適宜監視員を配置するなどして危険を回避予防する措置をとるべき注意義務が課せられていたというべきところ、前記の証拠によると、同校長が原告ら父兄に対して除雪作業を要請した前記の書面中に、児童に除雪作業をやらせて事故を起した例もある旨を記載して専ら同校生徒に除雪作業を行なわせることが危険であると指摘したのみで、同校長らは、前記の如く事故発生を防止すべき右注意義務を尽すことなく漫然と作業を進めていたものであるから、結局、本件事故は、同校長及び同人を補助すべき立場にあった大山教諭の過失に基因するものと認めざるを得ない。

従って、右両名を雇用し、これに対し服務監督権を有する被告は使用者として本件事故により被った原告の後記損害を賠償すべき義務がある。

なお、被告は、同校長ら学校職員の選任及び監督につき相当の注意をした旨主張するが、これを認むべき証拠はない。

四  過失相殺

被告は過失相殺の主張をするので、本件事故における原告の過失について検討するに、前記のように、原告の従事した除雪作業には、本件事故現場の状況及び数日前からの気象状況からみて、屋根からの落雪による危険が伴いやすいことが容易に予想し得る状態にあったものと認めることができるから、原告としても自らかかる危険を避けるべく特段の注意を払うことが必要とされるべきであったところ、≪証拠省略≫によると、本件においては、先ず屋根上の雪をおろし、また連結部分は軒先で切断した後積雪部分の除雪にあたる方法が原告らのとった方法に比べてより安全であったと認められるうえ、原告は落雪による危険を回避することが困難な雪溝の中に身を置いて漫然と作業を続けていたことが認められる。そして、原告の右過失も本件事故発生の一因となったものと認めることができるから、原告に生じた損害を算出するにあたってはこれを斟酌するのが相当である。しかし、危険回避の措置をとるべき義務は、一義的には、原告らに対し前記のような危険を伴なう除雪作業を指示した学校側にあるものというべきであり、被告の損害賠償責任の根拠が学校側が原告らに対しかかる危険な作業を要請したこと及びこれを要請しながらなんら適切な危険の予防又は回避措置をとらなかったことにあることに鑑みれば、過失相殺の割合は損害額の一割をもって足るものというべきである。

五  原告の被った財産的損害

1(一)  治療費

原告は、前記の如く昭和四二年八月三一日以後国立登別病院に入院しているが、≪証拠省略≫によると、原告は同病院において昭和四四年二月までに受けた治療費用として金一七二、五四五円を同病院から請求されたまま、未だ支払を了していないことが認められる。

(二)  逸失利益

(1) 対外的労働に関するもの

≪証拠省略≫を合わせると、原告は夫の源之丞の収入が十分でなかったため、昭和三四年頃から毎年農家の手伝いや土方仕事に出て収入を得ることにより一家の生計を補っていたこと、そして、昭和四一年には別表の如く同年五月一八日から同年一二月二四日にかけて延べ合計一三〇日間稼働し、実質的には原告主張額である合計金二六二、〇〇〇円の収入を得たこと、しかして原告は、本件事故当時満四〇歳であり、もし本件事故による受傷がなければ毎年同様に稼働し収入を得ることが予定されていたことが認められるところ、前記の如く原告は現在なお稼働不能の状態にあることは明らかであり、右の事実によれば、原告は、本件事故により右稼働による得べかりし利益を喪失したものというべきである。しかして、労働毎月勤労統計調査資料によると、女子労働に対する平均月間給与額は各前年度に比べて、昭和四二年度において一〇・六パーセント、昭和四三年度において一四・八パーセントそれぞれ上昇していることが認められるから、原告の収入も右上昇率に準じて上昇したものと予測することができる。従って、原告は、本件事故後昭和四三年三月末日までに金二八九、七七二円、同年四月一日から昭和四四年三月末日までに金三三二、六五八円の得べかりし収入を失い、また、同年四月一日から昭和四五年三月末日までの間についても少くとも前年と同額の金三三二、六五八円を下らない得べかりし収入を失ったものと推測することができる。

(2) 家事能力喪失によるもの

≪証拠省略≫によると、原告は、右稼働期間を除いて原告の家庭(家族数は原告を含めて六名)において主婦としての家事労働に従事していたこと、従って、本件事故がなければ右稼働日数一三〇日を除き原告は昭和四二年四月一日から昭和四三年三月末日まで合計二三六日間、同年四月一日から昭和四四年三月末日まで及び同年四月一日から昭和四五年三月末日まで各合計二三五日間右家事労働に従事したものと認められるところ、家事労働に対しては通常対価としての賃金は支払われないが、そのことは家事労働が財産的に無価値であることを意味するものではないから、家事労働に従事する主婦が稼働能力を喪失した場合は右能力喪失自体を損害としてこれを金銭に評価したものにつき損害賠償請求権を取得するものと解するのが相当である。そして、その稼働能力は、もし当該主婦が就職した場合に取得を予想し得る控え目な賃金を基準として評価するのが相当であるところ、労働省統計調査資料部発表の「賃金構造統計調査」第一巻第二表によると、昭和四二年度における満四〇歳の女子労働者の最底給与所得は月額平均金一六、三〇〇円であることは当裁判所に明らかであるので、右金額と昭和四三年における前記賃金上昇率一四・八パーセント及び前記家事労働従事の予想期間を基礎として原告の稼働能力を評価すべきである。この方法によると、原告は、昭和四二年四月一日から昭和四三年三月末日までの期間においては金一二六、一二四円、同年四月一日から昭和四四年三月末日まで及び同年四月一日より昭和四五年三月末日までの各期間においては前記上昇率一四・八パーセントを加えたいずれも金一四四、五七二円に相当する財産的損害を受けたものということができる。

2  右1によると、原告は、本件事故により昭和四二年四月一日から昭和四三年三月末日までの間に合計金四一五、八九六円(1の(二)の(1)、(2))の、同年四月一日から昭和四四年三月末日までの間に合計金六四九、七七五円(1の(一)、(二)の(1)(2))の、同年四月一日から昭和四五年三月末日までの間に合計金四七七、二三〇円(1の(二)の(1)(2))の財産的損害を被ったものと認められるところ、右損害額につき前記認定に従い一割の過失相殺をすると、原告の請求し得べき財産的損害は、昭和四二年四月一日から昭和四三年三月末日までの間に生じたものとして金三七四、三〇六円、同年四月一日から昭和四四年三月末日までの間に生じたものとして金五八四、七九七円、同年四月一日から昭和四五年三月末日までに生じたものとして金四二九、五〇七円となる。

六  慰藉料

前記の如く原告は、本件事故による受傷により現在に至るもなお入院生活を余儀なくされているうえ、下半身麻痺の症状は回復する見込みのないままの状態にあり、右の後遺症は労災等級第一級に該当すべきものと認められるところ、≪証拠省略≫によると、その間原告は、常に幻覚痛に悩まされたうえ、昭和四二年三月一日深川市立病院で腰椎の固定手術をうけたほか、国立登別病院に移ってからも蓐瘡が生じ痛みが激しくなったため、昭和四四年一〇月九日と同年一二月二三日の二回その手術を受けたものの、現在なお固い蓐瘡を有していること、他方源之丞は、後記の如く、会社を欠勤して原告の附添看護にあたったものの、収入が激減したため、やがて窮状に陥入り、これを打開すべく後記本件和解を成立させるとともに原告を国立登別病院に入院させた後再び出勤したものではあるが、被告がそれまで負担していた原告の治療費の支払を打切ったことと、源之丞に再び収入が生じたことが重なったことから、以後同病院から原告に対して前記の如き原告の治療費の支払方を請求されるに至ったこと、そして経済的な窮状に陥入っていた源之丞としては、子供らの生活を守るためにはもはや原告と離婚することによって右治療費の請求を逃れる以外に途はないと考えるに至ったこと、しかして、原告としても他に考えも及ばなかったためやむなく源之丞の考えに従うこととなり昭和四四年二月二〇日付で両名の離婚届がなされたことが認められ、その間に原告が受けたであろう精神的、肉体的苦痛の程は察するに余りあるところであある。

ところで、原告は、入院の苦痛による精神的損害は継続的に発生する損害であるとの前提の下に慰藉料を月毎に算定したうえ毎年四月一日を基準として一年毎にまとめて請求しているが、継続的不法行為によるものであればともかく、本件のように一回限りの不法行為によって被った精神的損害については、当初においてその継続が予測可能なものである限り、不法行為時に発生した一体の損害としてこれに対する慰藉料を算定すべきである。また、原告は入院による苦痛と後遺症による苦痛に対する慰藉料を別途に請求しているが、共に一個の不法行為により生じた精神的損害であるから、その慰藉料も一体として算定すれば足るものである。

この理に従って、前記事実関係その他本件事故における原告の過失の態様、程度など諸般の事情を勘案すれば、原告の慰藉料は金二、五〇〇、〇〇〇円が相当と認められる。ところで、原告は、後記認定の如く、本件事故に関し被告との間に成立した本件和解に基き被告より見舞金として金五〇九、二〇〇円を受領しているので、原告の主張に従い右金員を慰藉料に充当して控除すると、原告が被告に対して請求し得べき慰藉料は金一、九九〇、八〇〇円となる。

七、弁護士費用について

以上によって認められる原告の弁護士費用を除いた損害額は合計金三、三七九、四一〇円となるところ、原告が原告訴訟代理人に本件訴訟提起を委任したことは記録上明らかである。被告は、その損害賠償責任を全面的に否定しており、下半身不随の原告がこのような被告を相手方として本件訴訟を追行するには弁護士に委任しなければその権利実現が困難であると認められる。従って、これに要する弁護士費用は本件事故による損害として加害者である被告において負担すべきであるが、事案の内容、当裁判所の認容額(弁護士費用を除く)その他諸般の事情に照らせば、右弁護士費用は金四〇〇、〇〇〇円をもって相当とすべきである。

八  和解の抗弁について

1  被告は、原告との間に本件事故について原告が被告に対し損害賠償請求をしない旨の本件和解が成立していると主張するので、この点について検討する。

≪証拠省略≫を総合すると、原告の夫であった源之丞は、本件事故による損害賠償の請求等につき原告から一切の交渉を委されていたが、昭和四二年八月二七日頃深川市立病院の原告病室において、原告在室のときに被告の代理人であった沼田町教育委員会学校教育係長の大田敏夫および浅野小学校PTAの代表者であった同PTA会長滝川との間で「被告及びPTAは、原告に対し見舞金として金五〇九、二〇〇円を支払う。原告及び源之丞は、被告及びPTAに対し本件事故について訴を提起したり何らの請求をしない。」旨の本件和解(示談)が成立し、同年同月三〇日頃PTA会長滝川が右和解に基づき源之丞に対して右金員を支払ったこと、そして後日滝川は被告より同額の償還を受けたことが認められる。≪証拠判断省略≫

原告は原被告間においては本件事故に関する和解は成立していない旨主張し、原告本人尋問の結果中にも「本件和解が全く原告不知の間に成立した。」というが如き右主張に副う部分もあるが、これが措信しがたいことは右に述べたとおりである。また、乙第一号証(覚書)自体には被告の免責を認める具体的な記載及び被告側関係者の署名こそないが、後記のように源之丞は終始被告及びPTAを相手方として損害賠償の交渉をしており、これに対しその責任を否定し続けてきた被告としては前記見舞金を支弁することにより本件和解を機に損害賠償責任のないことを明確にしたい意向を有していたことは弁論の全趣旨に照らして明らかであり、それならばこそ教育委員会職員の大田を代理人としての資格で本件和解の際立会わせていたものと推測できるし、≪証拠省略≫によれば源之丞自身も当時としては今後は同人に対しても損害賠償はできないものと考えていたことが認められるのであるから、本件和解は乙第一号証の記載にもかかわらず、原被告間においても成立したものと認めるのが相当である。

2  次に、原告は種々の理由をあげて本件和解が無効である旨主張するのでこの点について判断すると、≪証拠省略≫によれば、本件和解成立に至るまでの経緯として次の事実を認めることができる。すなわち、原告一家は源之丞が勤務先の炭鉱会社から得る収入、原告の前記対外的労働による収入及び当時就職していた長女の収入によってその生計を維持してきたが、本件事故により原告が常時附添看護を必要とする下半身不随の状態となって入院を余儀なくされ、他に人手を求め得なかったので、やむなく源之丞が勤務先を欠勤して原告の看護にあたる一方、長女勝子を欠勤させて家に残った四人の子の世話をさせなければならなくなり、このため一家の収入が途絶え、家族の生活は経済的に困窮するようになり、同年三月中ころから源之丞が再び出勤するようになった同年八月末まで一ヶ月約二〇、〇〇〇円の生活保護費を受給するようになったこと、かかる原告ら家族の窮状を打開するため、源之丞は原告から一切を託されてその代理人として被告及びPTAに対し本件事故による損害賠償を要求して交渉し、同年六月初めころにはそれまでの原告の収入と稼働期間を基礎として算出した約六、〇〇〇、〇〇〇円を損害額として提示したが、被告及びPTA側はいずれも予算がないとかその他種々の理由をつけてこれに応じようとせず、回を重ねた後右交渉は不調に終ったこと、そこで、源之丞は、本件事故の責任の所在すらつかみ得ず、また、訴を提起する等原告の権利保護のための具体的な方法も思い浮ばないまま、ともかく長期療養を要する原告を附添看護人を要しない病院に移して一日も早く従来の如く収入を得て一家の生計を確保することが先決があると考えて、被告らに対する損害賠償請求額について多くを望むことを諦め、同年七月ころ再び被告及びPTAに対し原告を右条件にかなう病院へ移すこととその後の治療費については原告の負担とならないような措置をとることを要求したこと、これに対し被告及びPTA側では、同年八月三一日以後原告を国立登別病院に移す手続をとることおよび原告の症状が下半身不随のまま全治困難な状態にあって今後なお長期にわたって入院加療を要するとの認識の下に労災保険等級第一級該当者の打切補償費を参考にして被告の負担において原告に対して見舞金名下に金五〇九、二〇〇円を支払うことによって本件事故に対する被告及びPTAの損害賠償責任一切を免れる趣旨の前記内容の和解案を提示し、同案は前記のような窮状にあった原告の容れるところとなり、かくて本件和解が成立するに至ったことの事実が認められる。

以上の事実によれば、本件和解当事者は、原告の傷害が一年程度の療養で全治するとの認識の下に本件和解をなしたものでないことは明らかであるから、原告の錯誤の主張は理由がないし、本件和解は慰藉料を主たる対象としたものではく、また、当事者は原告の前記のような現症状を予測しこれを前提として本件和解をなしたものであるから、原告の事情変更の原則等および解除条件成就の主張も理由がない。

そこで、原告の公序良俗違反の主張について検討すると、前記見舞金五〇九、二〇〇円は本訴において認容された弁護士費用を除いた損害賠償額金三、八八八、六一〇円(右五〇九、二〇〇円を控除前の額)の八分の一弱に相当するが、公序良俗の観点から和解の効力を判断するにあたっては、単純に、権利として認められるべき金額と和解による金額との数量的な比較のみによっては軽々に判断し得るものではなく、和解に至るまでの経過、原告側の窮状、相手方の資力、権利の性質等諸般の事情を勘案する必要がある。しかして、前記事実によれば、原告が本件事故により入院を余儀なくされた結果、原告側では、その看病や子供の世話等のため夫や長女は勤務先を欠勤することになり、一家をあげて収入源を失い発育盛りの子を抱えて極度の困窮に陥った状態の中で、度々の交渉にもかかわらず被告及びPTAより損害賠償責任を回避する態度を示されたので、当座の困窮から逃れるため、やむなく、前記のような和解を成立させるに至ったことが認められるのであって、もし、原告側にあって被告の和解案を拒否すれば、従来の被告及びPTAの態度からみて、更によりよい条件を求めて交渉を継続してみてもいたずらに日時を重ねるのみで原告一家の困窮の度をますます深めるだけであったであろうことは、推測に難くないところである。また本件和解成立の際、被告ら加害者側が原告が下半身不随のまま全治困難な状態で長期療養をしなければならない重症にあることを知りながら、前記見舞金額の提示にあたって今後の治療費、休業補償、後遺症補償等に対する特段の配慮をしたことを認むべき証拠もない。加えて、被告としても、少くとも若干の期間の猶予さえあれば、前記認容額又はそれに近い額の負担に絶対に耐えられないものとも認められない。しかも本件では休業補償費として昭和四五年三月末までの分しか請求していないため本訴の認容額も右の限度にとどまったが、原告の症状から考えると稼働不能期間は今後とも長期にわたりこれによる財産上の損害をも加えると原告の損害額は更に高額化することが予測される。このような事情を勘案すると、事案の性質に照らし、本件のように被害者の救済を一義的に考えなければならない不法行為の損害賠償金としてみる限り、前記和解金額(見舞金)は被告の損害賠償責任全部を免責せしめるには全りにも低きに失するものといわざるを得ないから、本件和解中、被告に対する関係において原告がその免責を認め被告に対しなんら損害賠償を請求しないとの部分は、重症患者である原告が窮状下においてなした意思表示として、公序良俗に反し無効なものと認めるのが相当である。

九  結論

以上によれば、原告は、被告に対し五(財産的損害)、六(慰藉料)及び七(弁護士費用)の合計額金三、七七九、四一〇円を支払うべき義務がある。ところで、原告は被告に対し財産的損害のほか精神的損害も継続的に発生する損害としていずれも昭和四三年から昭和四五年まで毎年三月三一日を区切りとして年毎に算出したものを元本としてこれに対する各年の四月一日以降の遅延損害金を請求しているので、遅延損害金算出の関係ではその元本額と起算時については原告の請求に従うよりほかはない。まず、五認定の財産的損害に関しては、①昭和四二年四月一日から昭和四三年三月末日までの分である金三七四、三〇六円に対し同年四月一日から、②同日からは昭和四四年三月末日までの分である金五八四、七九七円に対し同年四月一日から、③同日から昭和四五年三月末日までの分である金四二九、五〇七円に対し同年四月一日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めうることは明らかであり、また、六認定の慰藉料金一、九九〇、八〇〇円に関しては、④うち金一、五八九、六九四円(原告はその請求額のうち金一、九九四、〇〇〇円について昭和四三年四月一日から完済まで遅延損害金を請求しているので、右金額から前記①の金三七四、三〇六円を差引いた額)に対し昭和四三年四月一日から、⑤残額金四〇一、一〇六円に対し昭和四四年四月一日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めうるものと解される。

よって、原告の本訴請求は、被告に対して金三、七七九、四一〇円及び内金一、九六四、〇〇〇円(前記①と④の合計額)に対し昭和四三年四月一日から、内金九八五、九〇三円(前記②と⑤の合計額)に対し昭和四四年四月一日から、内金四二九、五〇七円(前記③の金額)に対し昭和四五年四月一日からそれぞれ完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限りにおいて理由があるので、これを認容するが、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松野嘉貞 裁判官 鈴木康之 岩垂正起)

〈以下省略〉

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